「叱る」ってなんだろう?~正しい叱り方より大切にしたいこと~
「叱らない育児」という言葉を耳にするようになってから、叱ることに迷う大人が増えたように感じます。
- 怒ったら自己肯定感を傷つけてしまうのではないか。
- 厳しくすると嫌われてしまうのではないか。
- 本当は叱った方がいいのか。それとも見守った方がいいのか。
私自身も、子育てをしながら何度も考えてきました。
でも最近は、叱ることそのものは案外シンプルなのかもしれないと思うようになりました。
危ないことをした。人を傷つけた。約束を守れなかった。
そんなときに、「それはいけないよ」と伝えたくなるのは、子どもを守りたいという自然な気持ちだからです。
今回は、「叱る」について、私なりに考えていることをまとめてみたいと思います。
「叱らない育児」に迷う大人たち
叱ることに自信が持てない
最近は、おおらかで寛大な親が理想とされることがあります。
親も先生も、叱ることに慎重になりました。
「叱ってはいけない」そんな空気を感じることもあります。
その結果、「これでいいのかな」「もっと優しくした方がいいのかな」と迷う大人も増えているように感じます。
本当に問題なのは「叱り方が分からないこと」
私たちは、叱り方を教わる機会がほとんどありません。見本になる大人も少なくなりました。
私たち世代の多くは、すでに核家族の中で育っています。
祖父母や地域の大人に囲まれて育つ機会も少なく、子どもを取り巻く大人の数は昔より減っています。
そもそも、自分自身が正しく叱られる経験を十分にしないまま大人になった人も少なくありません。
だから、迷うのは当然です。
「叱らない親」が増えたというより、「叱り方に迷う親」が増えているのかもしれません。
子どもには「正しく叱られる経験」も必要
大人は境界線を伝える存在
子どもは経験を通して、少しずつ社会のルールを学んでいきます。
- 人を傷つけたとき。
- 危険なことをしたとき。
- 約束を守れなかったとき。
そんなときに、「それはいけないよ」と止めてくれる大人の存在は大切です。
必要な場面で境界線を示してもらうことで、子どもは安心して成長していきます。
叱ることは未来を守る愛情
叱ることは、子どもを思い通りにすることではありません。
将来、人を傷つけないように。
社会の中で困らないように。
幸せに生きていけるように。
そんな願いを込めて伝えること。
そこには、未来を見据えた愛情があります。

叱ることと支配は違う
子どもは弱い立場にいる
子どもにとって、家と学校は「自分の知る世界のほとんど」です。
大人は逃げられても、子どもは簡単には逃げられません。
だからこそ、大人の力は慎重に使う必要があります。
恐怖で従わせることは支配になる
- 怒鳴る。
- 脅す。
- 人格を否定する。
- 逃げ場をなくす。
そんな関わりは、躾ではなく支配になってしまいます。
悪いことは止める。でも、追い詰めない。
そのバランスは大切です。
行動を正し、存在は守る
モンテッソーリ教育では、「子どもの人格を尊重すること」を大切にしています。
人を叩いたら止める。危険なことをしたら止める。
でも、「あなたは悪い子」とは言いません。
正すのは行動。守るのは存在。
実は、叱ることはもっとシンプルなのかもしれません。

「叱る・叱らない」で見えてくる自分
自分の都合で叱っていないだろうか
仕事。家事。人間関係。睡眠不足。
毎日を頑張っていると、余裕がなくなることもあります。
「牛乳をこぼしたこと」に怒っているようで、実は自分が限界だった。
そんな経験は誰にでもあると思います。
「今の私は何に反応しているんだろう」と立ち止まってみることも大切なのかもしれません。
叱る内容には価値観も影響する
- ご飯の前のおやつ。
- ゲームの時間。
- 片付け。
- 言葉遣い。
何が気になるかは、人によって違います。
「こだわりを持つこと」は悪いことではありません。
でも、価値観が多すぎたり、そのこだわりが強過ぎたりすると、子どもも親も苦しくなります。
反対に、「何でも許してしまう」と、大切なことまで曖昧になってしまいます。
どこまで許せるか。何を大切にしたいのか。
自分の価値観を知ることも大切なのかもしれません。
本当に見つめたいのは、子どもの行動
叱ることは、本来もっとシンプルだと思います。
人を傷つけた。
危ないことをした。
約束を守れなかった。
そんな行動に対して、「それはいけないよ」と伝える。
それが「叱ることの原点」なのだと思います。
ところが、
- 「急いでいるから」
- 「恥ずかしいから」
- 「ちゃんとした親に見られたいから」
- 「何回言っても聞かないから」
そんな大人側の事情が入ると、少しずつ目的がずれてしまうことがあります。
本当に見つめたいのは、子どもの「存在」ではなく「行動」です。
叱ることは、もっとシンプルでいいのかもしれません。
本当の理想は、一人で子育てをしないこと
子どもを育てるのは一人じゃない
昔は、子どもを取り巻く大人がもっとたくさんいました。
- 誰かが叱る。
- 誰かが受け止める。
- 誰かが気持ちを代弁する。
- 誰かが「謝る?」と関係をつなぐ。
- 誰かがヒートアップした大人を止める。
そうやって、子どもだけでなく、大人も守られていたのかもしれません。
当事者になると難しくなる
子どもが怒られている姿を見ると、「そんなに怒らなくても」「一回落ち着こう」と思えることがあります。
でも、自分が当事者になると難しくなります。
何回言ったの。
急いでいるの。
疲れているの。
余裕がないの。
感情が大きくなることもあります。
人間だから当然です。
本当の理想は、「一人で頑張ること」ではなく、「いろいろな大人のまなざしの中で子どもを育てること」なのかもしれません。

親も子どもと一緒に育っていく
完璧な親になれなくていい
仕事や家事、人間関係の悩みを抱えながら子育てをしている人も多いと思います。
ワンオペでは、母性的な関わりも父性的な関わりも、一人で担っていることも少なくありません。
- 見本が少ない。
- 教わる機会も少ない。
- 自分自身も、正しく叱られる経験が十分ではなかった。
そんな中で、いきなり「理想の親」になれるわけがありません。
だから、うまくできない日があって当然です。
過去は変えられません。
でも、その関わりを繰り返すのか。
大人になった今、新しく学びながら違う関わり方を選ぶのか。
それは自分で選ぶことができます。
自分を許す気持ち。成長していこうとする気持ち。
その両方があっていいのだと思います。
子どもだけでなく、自分も観察する
モンテッソーリ教育では、「観察」を大切にしています。
でも、観察するのは子どもだけではありません。
疲れていないかな。
余裕がなくなっていないかな。
本当は何が気になっているんだろう。
今怒っているのは、昔から大切にしていることなのか。
それとも、余裕がなくて気になっているだけなのか。
自分自身を観察することで、子どもの姿も、自分の姿も見えてくることがあります。
そして、「これは大切にしたい」「ここまでは許せる」
そんな自分なりの境界線を知ることも大切です。
やり直しながら、子育てを楽しむ
怒りすぎてしまう日もあります。
後悔する日もあります。
そんなときは、「さっきは怒りすぎたね」「ごめんね」とやり直せばいい。
その姿もまた、子どもに伝わる大切な学びです。
いつも穏やかで。
いつも冷静で。
いつも正しく叱れて。
そんな菩薩のようには、なれなくて当然です。
迷う日があってもいい。
失敗する日があってもいい。
親も子どもと一緒に育っていく。
そして、できれば、子どもの成長を「楽しむ気持ち」も忘れずにいたいですね。

まとめ
正しい叱り方を身につけることより大切なものがあります。
それは、迷いながら、やり直しながら、学びながら、親も子どもと一緒に育っていくこと。
そんな子育てができたら、それで十分なのかもしれません。
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